しかが谷川を慕いあえぐように
神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。詩篇42:1
なんという美しい言葉でしょうか。
この考え方、この思いこそが礼拝であり、神を信じる信仰なのです。誰かではなく、何かでもなく、「神よ、あなたを」慕いあえぐのです。
私たちはいつの間にか、人を求めています。素晴らしい働きをするあの牧師先生を、尊敬する方を、と。また建物を求めています。あの荘厳な神の神殿を、あの美しい教会堂を、芸術的な建築物を、この世にも美しい像を。知らず知らずのうちに目に見える何かを求めています。自分が苦心して作り上げた創作や成果を、神と共にたて上げたものでさえ、神以上に慕うようになっているのです。
しかし、「神よ、あなたを」というとき、目に見えない神そのもの言っているのです。
アブラハムですら、我が子イサクが偶像となってしまいます。愛してやまない大切な家族をも人にとっては偶像となり、神よりも大切な存在へと変わってしまいます。
ですから、私たちは神を見ていなければなりません。いつも神に向かって祈らなければなりません。そうでないと、私の思いは神以外のものを慕うようになっているからです。しかし、もし私が神に向かって祈るならば、神は私にとってかけがえのない存在になります。
やがて、神を慕うようになり、そして、慕いあえぐようになります。かわいているように神を慕い、いける神を慕うのです。しかも私のうちの魂がそうなるのです。
これが、神との私の信仰による深い関係なのです。ですから、兄弟姉妹よ、あなたを、あなたのかわきを神がいやすのを知ってください。
「だれでもかわく者はわたしのところにきて飲むがよい。」
と言われたイエスのところへ行ってください。
イエスを求めてください。人間の慰めや励ましでなく、イエスのいやしを、金銭や名誉に満足するのではなく、イエスの満しをもとめてください。あなたがどこにいても、どんな環境にいても、どんな状況にあっても、あなたは神によって満ち足りるようになるでしょう。
神よ、あなたは、あなたこそはなんとうるわしい方でしょう。
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